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 イスラム教徒(ムスリム)の心のよりどころ、モスク。国際化の波で日本にも100カ所以上ある。1936年に国内2カ所目のモスクが誕生した名古屋市は、今もムスリムが多い。その世界観に触れようと、日中の飲食が禁じられるラマダン(断食月)の5月下旬、中心部にある「名古屋モスク」を訪ねた。

 名古屋駅から直線距離で約1キロ。大通り沿いにミナレット(尖〈せん〉塔)を持つビルが見える。宗教法人「名古屋イスラミックセンター」が運営し、1階に事務所、2階に女性用、3階に男性用の礼拝室などがある。

 西の空が赤く染まる午後6時半ごろ、ムスリムが集まってきた。ガーナ、セネガル、インドネシア、インドなど、十数カ国からの100人以上の外国出身者のほか、日本人の姿もある。

 自営業者や留学生、研修生など仕事や年齢は様々で国も言葉も違うが、口々にムスリムのあいさつを交わす。「アッサラーム・アライクム」。アラビア語で「あなたの上に平安を」といった意味だという。

 太陽が沈むと、マグリブ(夕方の礼拝)が始まった。エジプト出身のイマーム(導師)に従い、聖地メッカに向かって祈る。

 礼拝後、この日の断食明けの食事「イフタール」が始まった。ジュースや果物、マカロニ、ピラフ、揚げ物……。日の出から日没まで飲食できなかったムスリムたちの表情は緩み、会話が弾む。ウズベキスタン出身の留学生アスリディンさん(22)は「断食は慣れると苦にならない。食事は楽しみだけど、ラマダン中はなぜかあまり量を食べられないんだ」とほほ笑む。

 名古屋モスクではラマダン中、このイフタールを無料開放している。ムスリムでなくても食べてよいといい、記者も勧められて食卓に着いた。日替わりで、この日はエジプト料理。量も質もごちそうレベルだ。特に香辛料が効いた肉入りピラフはジューシーでボリュームたっぷり。あっという間に完食してしまった。

 イフタールは40分ほどで終わった。帰途につく人もいれば、そのままモスクでイシャ(夜の礼拝)の時間を待つ人もいた。ラマダンの夜はまだまだ長い――。

 イスラム暦の9番目の月を指すラマダン。1年が354日の太陰暦に従うため時期は毎年10日ほどずれていく。名古屋モスクはラマダンの行事を5月6日から約1カ月間続けたが、昨年は5月17日からだった。

 そもそも断食は、1日5回の礼拝や喜捨と並びムスリムの五つの義務の一つ。病人や妊婦などを除き、日の出から日没までの飲食が禁じられる。そのため日の出前に十分な食事や水分を採って臨む人が多い。

 パキスタン出身の貿易商チュグタイさん(55)は、「朝は体がきつく、昼間は眠たくなる。でもつらいからこそ、『神に許される。受け止めてもらえる』という気持ちにもなる」。

 断食には「貧しい人の心を理解する」との意味もあるといい、この時期は普段以上に善行に励むという。

 「断食があるラマダンが終わるとうれしいですか」。ムスリムたちに尋ねると、「逆です。寂しい」、「来年のラマダンが待ち遠しい」。宗教義務を果たす達成感からか、善行を続ける充実感からか。ムスリムにならないと真に理解することは難しそうだ。

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 名古屋モスクは89年、礼拝所の必要性を感じた留学生やパキスタン出身のクレシ・アブドルワハブ現代表らでつくる「名古屋イスラム協会」が市内にアパートを借りたのが始まり。その後、寄付金などを元に98年、現在地に建設された。

 礼拝のほか、イスラム教の資料配布や入信手続き、アラビア語教室やヤングムスリムの集会、講演、勉強会などの活動を進める。見学者も受け入れ、年間300~400人が訪れる。

 サラ・クレシ好美理事は言う。「ここは誰でも自由に来られる箱。どの国の誰が来てもウェルカム。それがムスリム」(高原敦)

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〈アクセス〉名古屋市営地下鉄東山線本陣駅から約350メートル。専用駐車場はない。開所はズフル(昼の礼拝)からイシャ(夜の礼拝)まで。訪問時は露出の少ない服装(ミニスカートやタンクトップなどは不可)を。見学の申し込みはホームページ(http://nagoyamosque.com/)からメールで。