イスラーム礼拝所 名古屋モスク バーブ・アル=イスラーム岐阜モスク

見学者からの感想 (2024)

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2024年に名古屋モスクに見学にいらっしゃった方々からの感想の一部と写真を掲載いたします。

※2024年以外の感想は以下をご覧ください。
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2015年分 2014年以前分 

2024.7.20  金城学院大学准教授と学生

・イスラームとキリスト教・ユダヤ教は別物と思っていたが、イスラームはつながっていると考えていると知っておどろいた。
・キリスト教の礼拝よりもかなり質素な印象でした。個人的にはキリスト教の礼拝よりも、私が神社やお寺に参拝する感覚に近いのではと感じました。また時間やマイクなどデジタルな物が多くあって、それが少し意外だと思いました。イスラームの皆様はすごく伝統を大切にしているイメージだったので、上手くとけこんでいるのが印象的だと思いました。キリスト教の宣教師や仏教におけるお坊さん、神道の神主様など宗教と教職者というものは、切っても切れないような関係だと思っていたので、聖職者がいないというのがすごく意外で驚きました。
・元々知っていたことよりもはるかに詳しいことを学ぶことができました。イスラム教はあぶないと考えている人は少なからずいますが、正しい理解をすることは大事だと感じました。イスラム教の考えや教えは好きだと感じたのですが、これは日本の宗教と似ている所が多いからなのかと考えました。困った人には助けてあげることや、実質的に善いことをしていることが大切であるという考え方などです。興味深いと思ったのは、断食中は断食だけでなくタバコ・性行為・TVで露出のある芸能人などをみることも日中に避けられたり禁止されていたりするという話です。これは初めて知りました、質疑応答の場では、イスラム教では血が神にとって汚いものであるということを初めて知りました。キリスト教ではイエスの血にみたてたぶどう酒を礼拝で飲んだりするので意外でした。本日は、説明と見学をさせていただきありがとうございました。

2024.7.6 
愛知淑徳大学講師と学生

・今回のモスク見学で実際にイスラームに触れることができて非常に嬉しかった。名古屋にモスクがあったことを今まで知らず、身近にイスラームの文化が存在していることに感動した。/ 実際に中に入り、モスクの中や礼拝の様子を初めて見たが、心を動かされた。まず、内装に感動した。外は普通の市街地だが、中に入ると静かで神聖さを感じた。絨毯やミンバルやミフラーブが立派で、装飾がイスラームらしい文様で新鮮だった。/ 礼拝の時間になるとムスリムの方々が複数来ていたが、全員服装はラフで、アフリカ系のような人や、アジア系の人など様々な人がいた。それぞれが世間話をするわけでもなく、時間の合間に礼拝をし、済んだらあっさりと帰っていて、意外だった。しかし、他人同士でも横一列に整列したり、最後に挨拶をしたりしている姿が素敵な光景だった。何気ない「アッサラーム アライクム」という言葉はムスリムの心を豊かにし、支えになっているのではないかと思った。日本人は寺や神社を参拝することはあっても、個人または家族、友人などと一緒に行くことがほとんどで、初対面の人と接しない。そのため、ムスリムの方々が隣同士で挨拶している光景はうらやましく、そうした小さな縁、コミュニティが大切なのではないかと考えさせられた。 (中略)/ 歴史の教科書やメディアの情報だけではイスラームを理解するには不十分であることもわかり、情報リテラシーを高め、自ら能動的に正しい情報知る努力をする必要があると感じた。
・イスラムについて、新聞を読んだり動画サイトで動画を見たりと知る方法は多くありますが、今回のモスク訪問で自分の目で日本に暮らすイスラムの方々を見ることができて、とても良かったと思います。モスクを訪問させていただく前、大学の講義でイスラムは厳しいものではないと教えられても中々実感が持てませんでした。しかし、お祈りを実際に見て、何度か両手を首のあたりに持ってくる動作をする人もいれば、特にそのようなことはしない人もいたり、帽子を被る人もいれば、被らない人もいたりと非常に「自由」だと感じました。/ 私は普段過ごしていて、自分が知らない文化や宗教を持つ人々のことをついひとくくりにして見てしまうことがあるけれど、こうして目の当たりにすると、当たり前に個があって、それぞれが自分の意思で過ごしているのだと理解することができます。講義や今回のモスク訪問で、自分の中にあった偏見は少しでも無くなったと思いますが、決して少なくない人数が、ISなどから受けた印象によってイスラームに偏見を抱いています。だからこそ、このように自分で触れてみて正しく知ることが大切なのだと思いました。
・(前略)イスラームがニーヤを重要視していることが何よりも印象的だった。「すべての行動はニーヤによる」という言葉も私の中では重要であると考えている。世の中結果を残していかなきゃならないと考えられている中で、意思(ニーヤ)を重要と言ってくれるイスラームの考え方は私の中では救いのように感じた。今後何か失敗したときも私はその時頑張ったと自分の意思をほめるようにしてあげようと思えた。/ いつまでたっても疑問だが教科書にはなぜジハードを「最大級の努力」を「聖戦」と翻訳するのか理解できなかった。一番大事なことなのにそれを感知違いするような言い方で伝えるのは間違っているだろ、と話を聞いてさらに思った。(中略)/ 報道の力のすごさを身に染みて感じた。イスラム国に関する報道のせいで思った以上にムスリムが息苦しい思いをしていたことがとてもわかった。そしてどんなもんでも何かしら政治がかかわっていること、情勢がかかわっている可能性があると考えられることもあると頭の片隅に入れておくとよいことも理解した。情報は私たちの生活に密着していて特に今はSNSが目覚ましいスピードで発展している。何が嘘でほんとか、の他にその情報が出たことの裏や真相を考えることや、その情報がだれにどんな影響を与えるか吟味する必要があると感じた。/ 今回のモスク見学でモスクのことやムスリムの生活、イスラーム文化以外にも今生きる私たちに必要なことは何であるかを考えさせられた。この社会、日本をどのように生きていくか考えるいい機会になった。

2024.7.2  中京大学准教授と学生

・今までイスラムに対しての知識はあまりありませんでした。しかし、小学生の頃、マララさんの伝記を読み、そこでのイスラムは女の子は教育が不十分であり、高等教育も望めず、立ち向かったところを射撃されてしまったと読んだので、イスラムに対しては少し怖く、未知な世界のように思っていました。大学生になり、異文化、宗教に関して学ぶ機会が増えたことで、誤解はなくなりましたが、今回のお話で、私にまだまだ知らなかったことがあり、とても学びになりました。特に”人を一人殺したら全人類を殺すのと同等だ”という文言がクルアーンにあることがもっと日本に住む誤解をしている方々に伝わるといいなと思いました。
・ムスリム第二世代の方々が周りに自分がムスリムであることを言えない状況であったり、周りにIS戦闘員はたったごく一部であるのにも関わらず、同類のような扱いをされることが度々あると聞いて、すごく心が痛くなりました。/ハラール認証がなくとも、元々ハラールであるのに、海苔やお水にまでハラール認証をしてあるものを見て、ハラールの捉え方がズレていることを知って、ハラールがついていればいいのではないことを学びました。イスラム教に対する認識が今日でがらりと変わったので、友達や家族に今日学んだことをぜひ話したいと思いました。
・今日は貴重な時間をありがとうございました。初めのGodのお話から最後まで新しい知識でいっぱいです。サラさんの言う通り私はイスラ―ムがものすごくきびしいものだと思っていました。特に5つの義務のサウムに関しては、友達がイスラームだったため、「今日お昼食べれないんだ~」と言っていた事に対してかわいそう・大変と思っていました。しかし本日の話からサウムは人々に楽しみにされているものでありパーティだと知りました。それ以外の義務もできる範囲の努力でも良いことから怖い・きびしい印象がやわらぎました。/次にハラール食について、イスラムの人との食事法についても思っていたよりも身近なものでした。私は海外に住んでいた時があり、その時に「Asian」と聞かれ、それだけで仲間に入れてもらえなかったことがありました。その経験からムスリムの人々が嫌な思いをし不快になる気持ちが理解できます。改めて何でもかんでもすぐに受け入れ、ありもしない事を自分で確認せずに信じることはこれからもやめたいです。

2024.7.2  椙山女学園大学学生

・本日は貴重なお時間いただきありがとうございました。私は今日までイスラームは厳しいというイメージがありました。1カ月も断食しなければいけないだなんて…と思っていました。しかし断食することで貧しい人の気持ちを知り、喜んで財産を捨て助けるよ!というザカートにつながっていること、夜はみんなでパーティをしていることがステキだなと感じました。またハラール認証を得ることはお金も労力もかかると調べていたので、お水や海苔にハラール認証をつける悪質なビジネスがあることに驚きました。アルコールダメ!=ムスリムだと考えていましたが、酔わせるものはダメ! であることも学びました。ムスリムの多様性や生きることの楽しみ方を知ることができました。

2024.2.10  高等学校社会科教員のグループ

・現在の高校の教育課程では、チリ総合が必修化されたため、宗教および地域文化に触れることが絶対に出てくる。より多くの社会科教員が正しく授業で取り扱えるよう、このような講演を聞くべきであると思う。宗教や文化を扱うことが多い立場であるだけに、自分自身も学び続ける必要を改めて感じた。/偏見は無知から来る部分も多いと思う、その解消に教育のできることは重い。
・大変興味深い話で、とてもわかりやすかった。社会科教師でありながら、ムスリムに関する知識の乏しさに気づかされた。
・いろいろな多様性を持っていることがわかり、勉強になりました。宗教のことだけでなく、マイノリティに対する対応を、学校の教員がいろいろ知るべきであると思いました。


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