SYM(Space for Young Muslims) で、イスラームに興味を持つ日本人大学生の方々と交流をしました。
日時:11月7日(土)5時半~6時半
場所:名古屋モスクカフェ
参加者: 慶應義塾大学学生、愛知県立大学学生、名古屋外国語大学学生 ヤングムスリム8名

新型コロナウィルス感染拡大を受けて2月末から自粛を続けてきたSYMですが、モスク利用の条件を遵守して10月から活動を再開しています。先週はイスラームに興味を持つ日本人大学生の方々を交えて、 お茶とお菓子をいただきながら交流のひと時を持ちました。

交わされた会話の一部を紹介します。
大学生(以下D):ムスリムでよかったことは ?
ヤングムスリム(以下Y) :寂しさを感じなくなった、世界中の全部の大陸に家族がいる、モスクで初対面の人とも兄弟姉妹としてすぐに友達になれる。
Y:なんで生きるのか、なんで生まれてきたのか、ずっとモヤモヤしていたが、その根拠がクルアーンやハディースに書いてあって、生きる意味の答えがすんなり入ってくるようになった。
D:日本人は無宗教だから、自分の心のよりどころを自分から探しに行かなければいけない。
D:アイデンティティがちゃんとしてないから自分が何になったらいいかわからないし、どう生きればいいかわからないから、それを探しながら70年80年生きていくのは結構つらい 。
D: 自分は信じるものがないから、答えがあるのがすごくいい。
Y: 日本人にとって、どういうものが心のよりどころになるか?
D: 痛み止めと同じような感じでその時その時に作る。つらいことがあったら、例えば音楽とか何かしらの娯楽に対してしか安心できない。
D: 私の場合は娯楽じゃなくて、やらなきゃいけないこと。勉強して大学院の受験に合格することが生きる意味だったのに、ある日疲れて勉強しなかった日、「なんで私生きてるんだろう」ってなった。ゴールへのプロセスがちゃんとできてないと生きる意味を失ってしまう。
Y:私はちょっと前まで、なんでなんでを繰り返しても答えが見つからなかった。ここにいるムスリムの友達のおかげで、今年に入ってからようやく答えを見つけた。
Y:ムスリムで良かったと思うのは支え合うことができること。SYMに集まる一番の目的は仲良くなって支え合うこと、何でも話して何でも聞いて経験やイスラームの知識を通して相手を助けられる。
D:ムスリムじゃなかったらやってなかった?
Y:この年齢でこれができるのはムスリムだから。歳をとって経験を重ねなくてもクルアーンやハディースから答えを探せる。
Y:クルアーンやハディースは人生のシラバスみたいなもの。紆余曲折しながら答えに辿り着くのも人生の醍醐味だけど、答えがわかっている分さらに深いところを追求できる。
Y: SYMに集まる子たちは同じようなバックグラウンドを持っているから共感し合える、歳とか関係なく道しるべを提供できるコミュニティができている。
Y:なぜイスラームに興味を持ったのか?
D:将来、教師として子どもたちに多様性を受け入れることを教えたいから、自分がその多様性を理解する必要があると思って。
D: 今壁がある現状の日本を少しでも良くしたい、日本社会に向けて発信していくうえで発信する側が理解しないといけない。知ることから始めていきたい 。

互いの立場は違っても、こうして話し合い有意義な時間を持つことができました。交流会が終わってからも、女子同士、男子同士、それぞれに集まってしばらく話が続いていました。

以下は参加したヤングムスリムからの感想です。
・ ムスリムは不安なことがあってもアッラーがそばにいるという安心感を得られているが、無宗教の日本人が不安になった時は神ではなく音楽などが同じ効果を得るという事を聞き、信じる宗教がある人とない人の違いを学んだ。(大2男子)
・これまでの交流会より更に踏み込んだ話ができた事がとても嬉しかったです。ノンムスリムから何かあった時に、周りがどうやって対応すればいいのか?という質問をされてムスリム、ノンムスリムそれぞれが自分の経験やこうして欲しかった、こうだったらいいのかもしれないなど意見を交換していました。交流会がお互いに相手の立場に立って考えられるような場になっていた事がとても印象深かったです 。( 大1男子)
・初めて交流会に参加しました。これまで考えてこなかったような質問や、他のヤングムスリムの話、またノンムスリム側の経験を聞いて、とても勉強になりました。自分にとってイスラームが何かを言語化することで、もっと自分の内面に向き合えた気がします。また、ノンムスリムの「共生していくにはマジョリティ側 から知って発信していかなくてはならない」という発言が印象的でした。これからこういう風に話し合える場が増えていったらいいなと感じました。( 院1女子)

思いを言葉にすることは難しいけれど大事なこと。勇気を出して意見を言ってくれた参加者のみなさん、お疲れさまでした。立派なダアワでした。