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イスラームとは

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イスラームの教義

「ラー イラーハ イッラッラーフ」 (アッラーの他に神はいません)
「ムハンマド ラスールッラー」 (ムハンマドはアッラーの使徒です)
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ムスリムとはアラビア語で、イスラームに入信した者、すなわちアッラーに従って生きる者のことです。イスラームに入信するには、上記二文を公に宣誓して自らの信仰を表明しなければなりません。

この信仰の表明の瞬間からムスリムになります。そしてさらにイスラームの信仰の基盤を受け入れ、ムスリムとして守るべき宗教的義務を果たすことが求められます。この信仰の基盤と宗教的義務を簡略に説明すると次のようになります。

信仰の基盤(イーマーン)

アッラーを信じること
アッラーの天使たちの存在を信じること
アッラーにより啓示された諸啓典を信じること
アッラーの預言者たちを信じること
審判の日と来世の存在を信じること
人にはアッラーによって定められた運命があると信じること

宗教的義務(イバーダ)

信仰の表明(シャハーダ)
礼拝(サラート)
断食(サウム)
喜捨(ザカート)
巡礼(ハッジ)

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上記以外にも、次のような行為を慎むことはイバーダとされます。
すなわち、理由もなく人を殺すこと、他人に危害を加えたり侵害すること、正義に反するあらゆる行為、正常な思考を失わせるものの摂取、名誉と尊厳を損なう行為である姦通、利子を取ること、人を騙すこと、嘘をつくこと、両親に従わないこと、などです。

ムスリムが、これらの義務の実行を怠ったり、禁じられている行為を犯したりしたときでも、心より後悔してアッラーに許しを請えば、アッラーはお許しになるでしょう。しかし、悔い改めなかった場合には、それでもムスリムとはみなされはしますが、不信心者として来世において必ずや罰せられるでしょう。
預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)は、信仰とそれに伴う行為に言及した文の中で、真のムスリムの特徴を簡潔に述べています。

【あたかもアッラーがご覧になっているが如く、彼を畏れ敬いなさい。あなたがたが見えなくてもアッラーはお見通しなのだから。】

これこそイスラームの本質といえるでしょう。それは、目に見える見えないに関わらず、重大であるかないかに関わらず、ムスリムは全ての行いにおいてアッラーを意識することが要求されているのです。全知全能なるアッラーは私たちをいつもご覧になっていますし、私たちのなす行いも全てご存じなのです。それゆえ、常にアッラーを意識していれば、不信心な行いは避けられ、また絶望に陥ることもありません。なぜなら、アッラーが常に一緒だということを知っているからです。